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確かにそうです。

キリストは十字架で処刑されたから。そしてその3日後に復活したことを信じるのがキリスト教だから。

でもここで敢えて言ってしまおう。人類が2000年間、見上げてきたキリストは、まだ復活していないキリストだということ!

 

これは十字架を軽んじて言いたいのではありません。なぜなら十字架は、彼がこの世の闇と罪と孤独をすべて無条件化する父と子と精霊の三位一体の奇跡を成就させたことを証する象徴だから。

でもその上で、そのキリストはまだ永遠の命を生きるBody of Godとして復活はしていないキリストだということは確かなことであり、それはやはりこれまでの時代はそこに向かっている十字架の時代だったことの現れです。

そしてその根底にあったのは闇、罪、孤独の絶望から救済されることへの希望と信仰でした。だから、目を背けて無いフリはできても、ベースにあるものは絶望だったのです。

でも、それがついに来たとしたら?どうなるの?

それとは、もうそれを目指すのでもなく信じるのでもなく、

本当に、闇、罪、孤独に支配されて終わる有限の命を超えて、永遠の命が、無限の命が、生と死を超えた無条件の命が、いまここで共同創造されることにリアリティがある時代になったとしたら。

もうベースにあるのは絶望でも希望でもなく、心も頭も身体も一つになった自分自身から現実世界へと外在化されていく無条件の愛そのものとして生きれる時代になったとしたら。永遠の命はまだ開花していなくても、そうなる種が渡されるだけでも、何かが大きく変わります。

 

なぜなら絶望がベースにあった自分と世界が、希望や信仰を飛び越えて、無条件の愛として実在できる自分と世界に変容するのだから。

この話も、いつもながら難解かもしれません。

でも解らなくても、もしもそんな種があるのだとしたら、それが本物である可能性がほんの少しでもあるのなら、迷わずに受け取ります。あれやこれや考えるのも受け取ってからで何も困らないですから。

受け取っただけで、感じたり分かったりすることがあるのだとしたら、既にめっけもんだと思いませんか?

その上で、どうするかが究極の自由意志なのです。

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